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〒569-0051 大阪府高槻市八幡町9-23
無明の闇を照らす阿弥陀の智慧
私たちのこころの在り方を仏教では「無明」ととらえます。無明とは文字通り明かりがない状態のことです。 現代は物質の面では非常に恵まれています。便利な道具があり食べ物もいろいろな種類のものがあります。大変な力仕事をすることは機械が代わってくれます。しかしそんな世の中なのに毎年多くの人が自ら命を絶っています。豊かになった世の中で、将来に不安を持っていない人はいないのではないかという有様です。物やお金に恵まれても、心から満足できないのはなぜか、という問いに仏教は無明というものでこたえます。無明という闇が心にあるから不安が消えないのだと教えます。無明というのは本当の自分を知らないということです。さらに言うと、ほんとうの自分を知らないということを知らないのです。「自分のことは自分が一番わかっている」というの中にいるのです。 闇というのは明かりがあって初めて闇だと気づくのです。初めから闇のなかしか知らなければそこが闇であるということに気づくことはできません。闇に光がさしてはじめて光と闇があることに気が付くのです。 私たちは生まれてからずっと無明の闇の中にいるので自分がそこにいることに気が付きません。闇の中を手探りでさまよっているのですがそれが当たり前だと思っています。そんな私たちに光を与えてくださるのがほとけさまの言葉です。仏様の言葉にふれることによってはじめて自分の姿に気づくのです。 仏さまの光に気づくことができれば自分がどちらに進むべきかが見えてきて不安を拭い去ることができるのです。
24/09/11
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私たちのこころの在り方を仏教では「無明」ととらえます。無明とは文字通り明かりがない状態のことです。
現代は物質の面では非常に恵まれています。便利な道具があり食べ物もいろいろな種類のものがあります。大変な力仕事をすることは機械が代わってくれます。しかしそんな世の中なのに毎年多くの人が自ら命を絶っています。豊かになった世の中で、将来に不安を持っていない人はいないのではないかという有様です。物やお金に恵まれても、心から満足できないのはなぜか、という問いに仏教は無明というものでこたえます。無明という闇が心にあるから不安が消えないのだと教えます。無明というのは本当の自分を知らないということです。さらに言うと、ほんとうの自分を知らないということを知らないのです。「自分のことは自分が一番わかっている」というの中にいるのです。
闇というのは明かりがあって初めて闇だと気づくのです。初めから闇のなかしか知らなければそこが闇であるということに気づくことはできません。闇に光がさしてはじめて光と闇があることに気が付くのです。
私たちは生まれてからずっと無明の闇の中にいるので自分がそこにいることに気が付きません。闇の中を手探りでさまよっているのですがそれが当たり前だと思っています。そんな私たちに光を与えてくださるのがほとけさまの言葉です。仏様の言葉にふれることによってはじめて自分の姿に気づくのです。
仏さまの光に気づくことができれば自分がどちらに進むべきかが見えてきて不安を拭い去ることができるのです。
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