浄土真宗にはなぜ西と東があるのか。(2)

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浄土真宗にはなぜ西と東があるのか。(2)

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2019/05/24 浄土真宗にはなぜ西と東があるのか。(2)

当時の石山本願寺は顕如(けんにょ)上人が門主を務めていました。顕如上人とその三男の准如(じゅんにょ)は和睦しようとしましたが長男である教如(きょうにょ)は徹底抗戦を主張し対立しました。最終的には門主である顕如上人の決断で本願寺は和睦に応じ、石山本願寺を明け渡し和歌山の鷺ノ森(さぎのもり)別院に移りました。
信長は和睦はしたものの本願寺の勢力を恐れ、明智光秀に本願寺を襲うように命じますが、光秀は逆に信長を打ちます。有名な本能寺の変です。本願寺派光秀のおかげで生き残ったとも言えます。
信長の後、天下を統一した豊臣秀吉は本願寺に対して積極的には関与しない姿勢でしたが、本願寺の内部では顕如上人・准如と教如の間の溝は深まっていきました。そんな中、顕如上人は門主の座を三男の准如に譲ります。これをきっかけに准如と教如の対立は決定的になりました。そんな中、本願寺の勢力の分断を図った徳川家康が教如に土地を与え現在の東本願寺にあたる場所に寺を建立させました。これにより本願寺は2つに分かれ、教如が東本願寺を准如が西本願寺をなのるようになりました。
このように歴史の中で本願寺は2つにわかれましたが親鸞聖人の教えには東も西も関係ありません。

 

 

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