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〒569-0051 大阪府高槻市八幡町9-23
真宗の中陰は追善供養ではありません
今日は前住職の六七日です。もうなくなってから一カ月以上のたつかと思うと早いようでもあり、その間にあったいろいろなことを考えますと長かったようにも思えます。7日ごとの中陰はインドと中国と日本の考え方が入り混じって成り立ちました。インドには輪廻転生の考え方があります。亡くなった方はやがて次の生を受けるという考え方です。亡くなってから行き先が決まるまでの期間が最大で七週あるので四十九日となります。 中国に来た少し期間が広まり百ヵ日が加わります。100日とは土葬にして骨になるまでに期間ということです。 その期間に亡くなった人が少しでもいいところに行けるようにと供養を重ねることが追善供養ということです。 しかし親鸞聖人は歎異抄で「親鸞は父母の孝養のためにとて、一返にても念仏申したること、いまだ葬らわず」と言われたとあり、追善供養の考え方と否定されます。罪悪深重の身である自分が他人のために施せる功徳があるはずがない、また、死んでから人に善根功徳を施してもらって自分の行いから逃れようとすることはおかしいといわれるのです。 浄土真宗の中陰は、一つには残された方の心を癒すもの、もう一つには仏道に出遇っていく機縁となるものとしてお勤めします。またわが身が死んでいく身を生きているということを学ばせていただく縁ともなります。私たちが今生きている、その在り方がどうかと問われていることでもあるのです。
24/09/11
24/06/06
24/05/08
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今日は前住職の六七日です。もうなくなってから一カ月以上のたつかと思うと早いようでもあり、その間にあったいろいろなことを考えますと長かったようにも思えます。7日ごとの中陰はインドと中国と日本の考え方が入り混じって成り立ちました。インドには輪廻転生の考え方があります。亡くなった方はやがて次の生を受けるという考え方です。亡くなってから行き先が決まるまでの期間が最大で七週あるので四十九日となります。
中国に来た少し期間が広まり百ヵ日が加わります。100日とは土葬にして骨になるまでに期間ということです。
その期間に亡くなった人が少しでもいいところに行けるようにと供養を重ねることが追善供養ということです。
しかし親鸞聖人は歎異抄で「親鸞は父母の孝養のためにとて、一返にても念仏申したること、いまだ葬らわず」と言われたとあり、追善供養の考え方と否定されます。罪悪深重の身である自分が他人のために施せる功徳があるはずがない、また、死んでから人に善根功徳を施してもらって自分の行いから逃れようとすることはおかしいといわれるのです。
浄土真宗の中陰は、一つには残された方の心を癒すもの、もう一つには仏道に出遇っていく機縁となるものとしてお勤めします。またわが身が死んでいく身を生きているということを学ばせていただく縁ともなります。私たちが今生きている、その在り方がどうかと問われていることでもあるのです。
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