072-675-1790
〒569-0051 大阪府高槻市八幡町9-23
父三回忌、母百か日
昨日、父の三回忌法要を勤めました。同時に母の百か日法要も併せて務めました。新型コロナウイルスの感染が心配なので移亜族のみでの法要としました。義父である是三寺の前住職がなくなって以来2年の間に私の父母も逝ってしまったことになります。本当にさみしくなりました。生前はあまり仲が良かったとは言えないのですがやはり、居て当然だった人々がいなく待ったという事実は重くなくしてからわかることも多いのだと気づかされます。折に触れいろいろなことを思い出し懐かしいこともあれば、後悔ややり残したような気持になることもあります。「生あるものは必ず死に帰す」というのは当然の理ではあります。その一方で生を良しとし、死を避けようとするのも人間です。現代を生きる私たちは生を謳歌することには熱心ですが死を考えることはあえて避けるよううな生き方をしています。しかし誰にでも必ず訪れる死を考えないで生きていくことは人生の意味を半分しか考えていないのではないでしょうか。生きるとはどういうことなのかを考えることは同時に死とはどういうことかを考えることでもあります。死は恐れるものではなく生の意味を教えてくれるものといえるのではないでしょうか。
24/09/11
24/06/06
24/05/08
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昨日、父の三回忌法要を勤めました。同時に母の百か日法要も併せて務めました。新型コロナウイルスの感染が心配なので移亜族のみでの法要としました。義父である是三寺の前住職がなくなって以来2年の間に私の父母も逝ってしまったことになります。本当にさみしくなりました。生前はあまり仲が良かったとは言えないのですがやはり、居て当然だった人々がいなく待ったという事実は重くなくしてからわかることも多いのだと気づかされます。折に触れいろいろなことを思い出し懐かしいこともあれば、後悔ややり残したような気持になることもあります。「生あるものは必ず死に帰す」というのは当然の理ではあります。その一方で生を良しとし、死を避けようとするのも人間です。現代を生きる私たちは生を謳歌することには熱心ですが死を考えることはあえて避けるよううな生き方をしています。しかし誰にでも必ず訪れる死を考えないで生きていくことは人生の意味を半分しか考えていないのではないでしょうか。生きるとはどういうことなのかを考えることは同時に死とはどういうことかを考えることでもあります。死は恐れるものではなく生の意味を教えてくれるものといえるのではないでしょうか。
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