「分別」の弊害

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「分別」の弊害

住職ブログ

2019/09/05 「分別」の弊害

「分別」も無学と同じように、現在では本来の意味とは反対の使われ方をしている言葉です。「分別くさい」「分別盛り」というように、世の中に対して常識的で慎重な態度・判断をすることをさす言葉として使われます。逆に「無分別」というと思慮と欠いた無謀な考え方や行動を指しています。
一方、仏教ででは「分別」とは物事を自分の考えでわけて理解することをさします。本来分けることのできないものを自分の都合のいいように分けて理解することですからそこに現れる理解はその人が勝手に作り出した妄想です。人間はどんな物事でも善悪、美醜、損得、敵味方などいろいろな基準で二分化して理解しようとします。しかしその基準はあいまいで人間の思いでしかありません。その結果理解されたものは、自分勝手な思いでゆがめられたものとなり、真実には届きません。
科学の世界ではこのような物事を細かく分けて理解する方法は有効で、人間は科学の力で今のような快適な生活を手に入れました。しかし、人生の問題、生き方を問う時、二分化された姿は果たして本来の姿、ありのままの姿なのでしょうか。真の姿をとらえようとするとき、ものを二つに分けて差別する「人為」(分別)をなくし、「無為」(無分別)によるしかないというのが仏教の立場です。
現代の社会ではひたすら分別の方向を推し進めていますが、物事の本質を見るには相対的なものの見方を離れた絶対の立場からのものの見方を顧みる必要があります。

 

 

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